Luthier Miguel Garrido
Luthier Miguel Garrido

ルシエ

ミゲル・ガリード
各ギタリストはギターの形で魂の伴侶を持っています。 両方から作り出された美しさは説明できないものです。

ギターマスターのミゲルガリードは、1959年にマドリードのビリャベルデの労働者地区で生まれました。 彼の母親はコルドバ市で生まれ、彼の父親はビリャヌエバデコルドバで生まれたので、彼はコルドバのルーツを持っています。 彼の両親は50年代の多くのアンダルシアの家族のように未来の家庭を形成するためにマドリードに出て来ていたのです。

ミゲルの父であると同時に伝統の先駆者であるアントニオは、大工を職業としていましたが9才のときから木と共に働いており、 彼がこの分野の信じられないほどの専門家になったのでした。若い頃から彼はギターの世界に興味を持ち始めました。最初はその楽器を上手に演奏し、それから必然的に彼の作品との親和性によって、喜びのためにそれらを作る事になったのでした。

彼は専門的にギターの製造販売に専念することはありませんでしたが、木材の世界における彼の優れたプロ意識のおかげで、彼は絶妙なギターを製造することができました。

ミゲル先生は物心が付いて以来彼の父の側にいて彼を助け、その後も何年ものあいだ彼の仕事の多くにおいて彼を助けてきたので、若い頃から工具を巧みに使った木の加工にも慣れていました。

ミゲルはシンプルで前向き、判断が早く家族を愛し、同時に熱狂的で好奇心が強い人です。その上にいろんな物を修正する自然な能力を持った人でもあります。

しかし、ミゲルの二つの最も重要な特徴は物事の究極に達するための充分すぎる敏感さと耐久力です。この個性と木への愛情は挑戦への自然な能力と共に彼をギターの音の秘密の領域に連れ込んだのです。彼を知っている人はこれが何を意味するのかを知っています。

60年代から70年代のあまり裕福でない労働者階級の家族に属していた事がミゲルの教育環境を決めたのでした。彼は優秀で直ぐに妥協しない子供、、、そして難しい子供でした。教育者やその方法や授業内容等に意欲がわかずただ単に義務で学校に行っていました。出来るときはいつもさぼっていました。当時は自由な魂でした。

家庭では教育は愛する祖母イサベルのわら草履が上下するように古風な物であったのです。近所の知り合いの多くは酒や麻薬の道に迷っていましたが、ミゲルは幸運だったのか人生の考え方の違いからか、学校を辞めて若くして14才から働き始めたのです。

これは何の疑いもなく、彼の教育と人生は巷ときつい労働によって形成された、と言えるでしょう。

ミゲルは大変多才な人です。彼のプロ意識は色々な道に出会うたびに常に際立ったもの、と言えるでしょう。彼は常に父親を助け、殆ど一生を通して自分のためであれた人のためであれ一日14時間働きました。

彼はまた何度もそしてあらゆる種類のプロジェクトで、時には成功し、そして時には失敗しながら取り組んできました。 可能であれば、後者は常に彼をさらに強くし、より決定的にするために役立ってきました。

ギターの世界では、彼は1999年に父親を助けながら作り始めました。音楽、ダンス、そして楽器を弾くことに対する彼の情熱に加えて、そこにこもる秘密と課題が彼を非常に動機づけたのでした。彼の手だけで作られた最初のギターは2007年に完成しました。それ以来、彼は今日まで技術を磨き続けて、私たちに魂と命の入った楽器を贈り続けています。

どの音階があなたの魂とコミュニケートする唯一のものであるかを発見してください

心のあるギター

ミゲル・ガリード

店ではギターマスターミゲルガリードのギターモデルを見ることができます

ルシエのギター

もう少しだけルシエとその周囲の事を、

フラメンコの講義、クリスマスのフラメンコ

2018年12月14日金曜日

ガリードポスエロのギターを使ったダビッドシルバによるフラメンコ講義
“パブロイグレシアス文化センター”
アルコベンダス – マドリード

クリスマスを記念して、身近で感情が高まる簡単な方法でアルコベンダスの芸術家David Silvaによる2分の芸術と情熱がフラメンコの歴史と芸術をより密接に結びつける。

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